米国の気候変動に関する規制
米国のクリーンエネルギーにおける紆余曲折
米国環境法の第一人者であるマイケル・ジェラード教授が、米国最高裁が気候変動規制を縮小する判決を下しても、米国のクリーンエネルギー推進が頓挫しない理由を解説します。
米国の環境政策を支える法的枠組みには、長く複雑な歴史があります。
バラク・オバマ米大統領の気候変動対策の代表的な取り組みのひとつが、2015年のクリーンパワープラン(CPP)という、発電源を石炭からよりクリーンなエネルギーに移行するための環境保護庁(EPA)の規制でした。ドナルド・トランプ氏はCPPの廃止を公約に掲げて大統領選に出馬し、就任後はその言葉通り、CPPを大幅に弱体化した別の規制に置き換えました。
ジョー・バイデン氏が米国大統領に就任する前日の2021年1月19日、コロンビア特別区巡回区控訴裁判所は、トランプ政権の措置は大気浄化法の大気汚染削減の義務に合致しないと判断し、この措置を破棄しました。これを受けてバイデン政権は、CPPはもはや時代遅れになっているので復活させないことを表明、米国を石炭から脱却させるために別のルールを打ち出すことを宣言しました。
しかし、2021年10月29日、EPAが新たなルールを発表する前にもかかわらず、連邦最高裁が控訴裁の判決を見直すと表明し、米国の環境団体は思わぬ打撃を受けることになりました。最高裁は、トランプ氏が任命した3人の判事を含む保守派が(リベラル派に対し)6対3と多数派になっており、気候変動対策に関するEPAの権限の大半、あるいはすべてを取り上げてしまうのではないかという不安が広まりました。
その最高裁は2022年6月30日、予想通り、6対3の投票により裁定を下しました。「ウエストバージニア州対EPA」とよばれるこの裁判の判決はEPAにとって不利なものとなりましたが、当初懸念されていたほど厳しいものではありませんでした。最高裁は、CPPはEPAの法的権限を逸脱しているとしたものの、EPAの他の権限についてはほとんど手つかずのままとしました。
最高裁の判断は、「重要問題法理(major questions doctrine)」―連邦政府機関が経済的または政治的に大きな意味を持つ措置を取る場合には、連邦議会からの明確な同意を必要とするという原則―に基づいたものでした。全米規模で重要性をもつ問題の解決には、通常の当局の権限では不十分なのです。2007年、最高裁は「マサチューセッツ州対EPA」の裁判において、大気浄化法に基づき、EPAには温室効果ガスを規制する法的義務があるとする画期的な判決を下しました。しかし、今回最高裁は、CPPは特定の発電所にとどまらず、相互接続されたシステムである電力網全体におよぶ規制であり、大気浄化法はEPAにCPPのような広範な権限を認可するには十分明確ではない、という判断を下しています。
クリーンエネルギーへの新たな障害
議会に明確な(権限の)規定を求めることは、大きな課題です。1990年以降、連邦議会は大規模な環境法を制定していません。民主党(一般的に強力な環境規制を支持)と共和党(一般的に環境規制に反対)の党派間の分断があまりにも大きくなり、議会は山積する諸問題を抱え麻痺状態に陥っています。
もうひとつの大きな問題は、何が「重要問題(major questions)」に当てはまり、何がそうでないのか、誰にもわからないということです。この(「重要問題法理」の対象における)定義の曖昧さが訴訟を誘発しています。コロンビア大学ロースクールの研究機関、サビン気候変動法センター(Sabin Center for Climate Change Law)が管理するデータベースによると、世界中で起きている気候変動に関する約2,000件の訴訟のうち、70%以上が米国内で起きています。
ウエストバージニア州の判決を受け、連邦政府の措置に反対する人々は、他の主張に加えて、「重要問題法理」を提起する可能性が高くなっています。例えば、証券取引委員会(SEC)は、企業の直接および間接的な温室効果ガス排出量の開示を義務付ける案を発表しています。このルールが最終的に施行されれば、法廷闘争を招くことは間違いなく、その際は、SECは連邦議会から明確な同意を受ける必要があるということが論点の一つになるでしょう。
この定義の曖昧さ故に、環境とエネルギーに関する規則だけにとどまらず、食品や医薬品、健康と安全、電気通信、その他の分野での連邦政府の措置も、攻撃の対象となる可能性があります。だからといって、訴訟が認められるとか、裁判の進行中にルールが一時停止されるなどということではありません。
とはいえ、企業にとっては、どのルールが自社に適用されるのか、確信が持ちづらくなるでしょう。
こうした状況ではあるものの、米国政府には気候変動と戦うための手段がまだ数多く残されています。ウエストバージニア州の裁判における判決一つで、よりクリーンで燃費の良い自動車の開発が影響を受けるようなことがあってはなりません。また、発電所や工場など、他の大気汚染物質も排出する固定発生源からの温室効果ガス排出に対し、EPAが規制を弱めることはありません。それにEPA が、石炭火力発電所や炭鉱が環境に与えるその他の影響(大気汚染、石炭灰、熱水など)を規制できなくなるという意味でもありません。再生可能エネルギーに対する政府の補助金や奨励金、家電製品や産業機器に対してエネルギー効率の向上を求める規制は残されており、州政府および地方政府はすべての権限を保持しています。
したがって、米国の気候変動規制の道具箱から一つの道具が取り除かれてしまったものの、まだ多くの道具が残っているのです。そして、クリーンエネルギーに向けた動きは今後も引き続き加速していくことでしょう。
対談者|マイケル・ジェラード
コロンビア大学ロースクールのサビン気候変動法センター(Sabin Center for Climate Change Law)の創設者兼所長であり、ピクテ・アセット・マネジメントのアドバイザリーボード・メンバーも務める。米国を代表する環境弁護士の一人であり、訴訟の専門家、教師、学者、そして権利を代弁・擁護する存在として、気候変動に対処するための最先端の法的手段や戦略を開拓している。
2009年にコロンビア大学ロースクールの教授に就任するまでの30年間はニューヨークで弁護士として活躍し、直近ではArnold & Porter法律事務所(ニューヨーク)の責任者を務め、現在も上級顧問(Senior Counsel)として在籍している。
1万人の会員を擁するAmerican Bar Association(アメリカ法曹協会)の環境・エネルギー・資源部門の前委員長でもある。
本ページは2022年7月にピクテ・アセット・マネジメントが作成した記事をピクテ・ジャパン株式会社が翻訳・編集したものです。
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