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ATDによる7&iHD買収提案が重要な理由
市川 眞一
2024/11/05

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概要

セブン&アイ・ホールディングス(7&iHD)に対するアリマンタション・クシュタール(ATD)の買収提案は、日本の上場企業の経営に大きな転換を迫り、企業価値向上への契機になるのではないか。東京市場の特徴の一つは、企業価値が長期的に低水準であることだ。TOPIXの株価純資産倍率(PBR)は1.4倍であり、S&P500の5.2倍、NASDAQ総合指数の7.1倍と比べて著しく低い。それは、日本株が割安であることを示すのではなく、上場企業の株主資本利益率(ROE)が低さが背景だ。そうしたなか、上場企業間による株式持ち合い、政策投資が解消に向かうことで、早晩、経営権の流動化・不安定化が進むと見られる。円安もあり、海外から戦略的買収の対象となる日本の上場企業が増えれば、日本企業の取締役会は、1)ROEを上げて企業価値を高める、2)非上場化する、3)高く買ってくれる相手に身売りする・・・の三つを選択肢とせざるを得なくなるだろう。10年後に振り返った時、ATDによる7&iHDの買収提案が転換点だったと認識される可能性は否定できない。



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■ 日本の企業価値は米国に大きく後れをとる

足下、ATDのPBRは3.7倍であり、7&iHDの1.5倍を大きく上回っている。これは、 7&iHDだけの特徴ではなく、TOPIX全体のPBRも同社とほぼ同水準の1.4倍に過ぎない。一方、米国市場を見ると、10月末時点におけるS&P500のPBRは5.2倍、NASDAQは7.1倍だった。リーマンショック以降、米国市場の企業価値が大きく高まったのに対し、日本の上場企業は横ばいの状態を続けていると言えるだろう。



■ 東証プライム市場はPBR1倍割れが約半分

PBR1倍割れの銘柄は、米国の代表的な企業により構成されたS&P500の場合、全体の3.0%に止まる。NASDAQ総合指数だと25.3%だ。アップル、NVIDIA、マイクロソフト、アマゾン、メタの5銘柄で指数全体の44.5%を占める一方、企業価値向上に苦戦する銘柄も少なくない。もっとも、TOPIXはPBR1倍割れの比率が48.4%に達している。東証プライム市場は、必ずしもその名称が実態を伴っていないようだ。



■ PBRは株主資本利益率(ROE)に連動

世界の主要な株式市場の予想ROEとPBRの間には強い正の相関関係が成立している。米国の場合、PBRの水準が高いのは、20%を超える予想ROEがその裏付けだ。一方、日本をはじめアジアの市場に上場する企業は総じて資本リターンが低く、結果としてバリューも低水準になっている。PBRの低さから「日本株は割安」との見方を聞くことは少なくない。しかし、理論的にそれを説明するのは難しいだろう。



■ 円安もあり東京市場の時価総額は横ばい

日本の上場企業のROEが低い理由は二つあると考えられる。一つは、スター企業の不在だ。米国では、この約30年間にアマゾン、NVIDIAと言った世界に影響を与える高収益企業が誕生した。他方、東京市場の場合、時価総額上位はトヨタ、日立、三菱UFJHD、ソニー、リクルートであり、何れも高度経済成長期以前に設立された企業だ。その時価総額の合計は、米国のトップ5の20分の1に止まっている。



■ NYSEの時価総額は東京市場の5.7倍

世界取引所連合(WFE)によれば、9月末現在、ニューヨーク証券取引所(NYSE)の時価総額は東証の5.7倍、NASDAQ市場は4.1倍だった。1999年末の段階では、NYSEは2.5倍、NASDAQは1.2倍だったのだが、2000年代に入って彼我の格差は大きく拡大している。東証の場合、時価総額上位5社が全体に占める比率は13.3%だが、NASDAQのトップ5社は44.5%だ。巨大成長企業の存在が日米の大きな格差になった。



■ NYSEの上場企業数は過去20年間ほぼ横ばい

東京市場の場合、日本取引所グループの下、2013年7月に東京証券取引所と大阪証券取引所が統合、それ以前と以後とで上場会社数の連続性が断たれている。統合時の上場銘柄数は3,411社であり、足下は3,953社になった。ニューヨーク証券取引所(NYSE)は、過去20年以上に亘って上場企業数が2,000~2,500社で推移している。それでも、時価総額は東証を大きく上回ってきた。



■ 米国は新規上場企業も多く新陳代謝が活発

2023年までの10年間、東証への新規上場は1,142社、NYSE1,382社、NASDAQ3,121社だ。NYSE、NASDAQの場合、上場企業数の変化を新規上場数が大きく上回っているのは、それだけ上場企業の新陳代謝のスピードが速いことを示すだろう。M&A、MBO、破綻、廃業、上場基準の未達など様々な理由があると見られるが、この新陳代謝が上場企業のROE向上の重要な理由の一つと考えられる。



■ 新陳代謝が米国市場に投資の厚みを生む

新陳代謝による変化は、市場参加者に大きなチャンスを生み、売買も活性化するようだ。今年1~9月で見ると、円安の影響もあるが、NYSEの売買代金は東証の3.9倍、NASDAQも3.7倍に達している。東証の場合、長期間に亘り資金調達がなく、PBRが1倍を割る企業が多数上場していることで、市場全体のバリューが低下し、取引高も増加していのではないか。市場活性化には上場企業の整理が必要だろう。



■ ATDによる7&iHD買収提案が重要な理由:まとめ


少なくない日本企業が資金調達のニーズなく、漫然と株式を上場してきた背景には、株式持ち合い、政策投資による経営権の安定化があったと見られる。しかし、その構造は大きく崩れ始めた。円安が続くなかで、ATDによる7&iHDの買収が成功した場合、企業価値が低いだけに、類似の戦略的買収提案が続く可能性は否定できない。上場企業の経営者にとり、1)ROEを上げて企業価値を高める、2)非上場化する、3)高く買ってくれる相手に身売りする・・・の三つが選択肢だ。経営は変化せざるを得ないだろう。


市川 眞一
ピクテ・ジャパン株式会社
シニア・フェロー

日系証券の系列投信会社でファンドマネージャーなどを経て、1994年以降、フランス系、スイス系2つの証券にてストラテジスト。この間、内閣官房構造改革特区評価委員、規制・制度改革推進委員会委員、行政刷新会議事業仕分け評価者など公職を多数歴任。著書に『政策論争のデタラメ』、『中国のジレンマ 日米のリスク』(いずれも新潮社)、『あなたはアベノミクスで幸せになれるか?』(日本経済新聞出版社)など。


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