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米国景気が堅調な二つの背景
市川 眞一
2024/12/03

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概要

2022年3月以降、FRBが急速な利上げを行ったことで、米国経済を専門とするエコノミストの間では、そう遠くない将来にリセッションが来るとの見方が支配的だった。しかしながら、米国景気が堅調に推移してきたのは、構造的な人手不足により雇用が逼迫してきたことに加え、二つの背景があったのではないか。その一つは、金融システムの頑健性に他ならない。米銀の預貸率は68%に止まり、保有する現金は資産の約10%、2兆ドル近くに達している。昨年前半、一部の銀行に問題が起こっても、より健全な銀行によって買収され、預金は全額保護されてきた。金融システムのシステミックリスクの可能性が少ないことが、景気の減速が失速に至らない背景の一つだろう。もう一つは、家計のバランスシートの健全性だ。金利上昇による利払い費の増加分は、マクロ的に見れば受取利息・配当の増加でオフセットされた。また、ホームエクイティの時価が上昇し、家計は十分な与信枠を有している。この頑健性と健全性は簡単には崩れず、今後も米国経済を支えるだろう。



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■ 2023年春は評価損が金融システムへの不安を増幅した

昨年3月、シリコンバレーバンクが経営危機に陥り、財務省、FRB、連邦預金保険公社(FDIC)などが連携してブリッジバンクを組成した。FRBの利上げを背景に価格の下落した長期国債を大量に保有していたことから、不安を感じた預金者により取付が起こった結果だ。米銀全体でも保有有価証券の評価損は大きい。ただし、満期保有分に関しては償却原価で会計処理され、期間損益への影響は限定的だ。



■ ITバブル、住宅バブル期、預貸率は100%を超えた

個別行の問題が金融システムへ波及しないのは、低い預貸率が一因と言える。ITバブル崩壊期及びリーマンショック期、米銀の預貸率は100%を超えていた。従って、預金の引き出しに対し、資産の売却、貸出の回収を急がざるを得なかったのである。一方、足下の預貸率は68%に過ぎない。市場の変動から預金者が動揺、取り付け的な動きがあっても、資産売却や貸出の回収を急ぐ必要がないのである。



■ 米国の銀行は2兆ドルのキャッシュを保有

米銀全体の保有現金は総資産の9.6%に相当する1兆9,317億ドルに達しており、マクロ的には取り付けに十分対応出来る状況だ。FRBの利上げで資産価値が下落、一部の極端なポートフォリオを持つ銀行が破綻しても、健全な財務体質を持つ他行が買収できたのである。低い預貸率、巨額の現金保有は銀行の収益性にはマイナスだが、システミックリスクを抑制するには十分な備えと言えるのではないか。



■ 米銀の総資金利鞘は平均に近づく

2021年4-6月期には調達コストの急上昇に運用利回りが追い付かず、利鞘は2.50%へと低下した。しかし、FRBの利下げに遅れるかたちでイールドカーブが修正されたことから、現在は過去30年の平均である3.50%に近い水準にある。ドナルド・トランプ次期大統領の経済政策は不透明であり、特にインフレの可能性には注意が必要だ。もっとも、米銀の収益力が大きく低下することはないと考えられる。



■ 利上げで支払利息増えても利子、配当所得でカバー

家計についての大きな見落としは、貯蓄超過である点だ。金利の上昇により、新たな住宅や自動車の購入に関するハードルが上がったことは間違いない。また、2022年1-3月期に年率換算で2,750億ドルだった家計の支払利息は、2023年10-12月期には5,317億ドルへ倍増した。もっとも、この間、受取利息及び配当金は3,251億ドル増である。結果として、支払利息を差し引いた純受取利息・配当金も684億ドル増加した。



■ 住宅ローンの延滞率は低水準

個人向けの与信に関し、90日以上の延滞率を見ると、クレジットカードが11.13%で高水準だ。もっとも、個人ローン全体の延滞率は1.97%であり、リーマンショック直後の2009年12月に記録した8.54%を大幅に下回っている。バイデン政権が学生ローンに対する減免措置を講じたことが一因ではあるが、FRBによる利上げ局面において、個人向けローンのクレジットコストが上がったと言える証拠はない。



■ 家計の債務は可処分所得比で下降トレンド

家計の債務残高は、2008年1-3月、個人可処分所得の134.7%に達していた。ITバブ壊以降の金融緩和下において、賃上げのペースを超える個人向け信用の拡張が起こった結果だ。それが、リーマンショック期において、個人消費を失速させた一因だった。その後も債務残高は増加傾向だが、伸び率が賃上げ率を下回っているため、対可処分所得比率は93.4%へ低下している。



■ ホームエクイティ時価は債務残高を大きく上回る

リーマンショック期、ホームエクイティの時価が、家計の債務残高を下回った。つまり、家計が実質的な債務超過に陥っていたわけだ。一方、2013年に入って住宅市況は回復に転じ、最近はトレンドとして上昇のペースが速まっている。新型コロナ禍により一時的な下落局面はあったものの、足下、ホームエクイティの時価総額は35.1兆ドルに達し、17.8兆ドルの家計債務残高を大幅に上回るようになった。



■ 米国景気が堅調な二つの背景:まとめ


トランプ次期大統領の経済政策は、米国の物価を押し上げ、FRBの金融政策を難しくするだろう。この点は、米国経済のみならず、世界経済に対しても攪乱要因と考えざるを得えない。ただし、米国の家計のバランスシートが健全であることは、金融システムの頑健性と共に、米国経済を支える重要な要素と言える。構造的な人手不足により雇用の需給が逼迫するなか、「トランプ政権」が大きなミスを犯さない限り、GDPの7割弱を占める個人消費に牽引され、当面の米国経済は堅調に推移するのではないか。


市川 眞一
ピクテ・ジャパン株式会社
シニア・フェロー

日系証券の系列投信会社でファンドマネージャーなどを経て、1994年以降、フランス系、スイス系2つの証券にてストラテジスト。この間、内閣官房構造改革特区評価委員、規制・制度改革推進委員会委員、行政刷新会議事業仕分け評価者など公職を多数歴任。著書に『政策論争のデタラメ』、『中国のジレンマ 日米のリスク』(いずれも新潮社)、『あなたはアベノミクスで幸せになれるか?』(日本経済新聞出版社)など。


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